氷見市街北端の海岸に突き出すようにそそり立つ断崖絶壁があり、この一帯がかつて"英遠の浦"(あおのうら)と呼ばれていました。
断崖の岬には、天正年間に菊池氏が居城したという阿尾城跡があり、ここからは能登方面や北アルプス山脈も遠望する雄大な景観が望めます。
この城跡の登り口右手に、大伴家持の"英遠の浦に寄する白波から"が刻まれた自然石の歌碑が建っています。(氷見市制施行30周年記念の建碑)
【意味】
英遠の浦に打ち寄せる白波は、ますます高くなり、しきりに打ち寄せてくる。
これはやはり東風が強く吹くためだろうか。
天平のロマンをしのぶ《氷見の万葉歌碑等》
天平18年(746)から天平勝宝3年(751)までの5年間、越中国守として赴任した大伴家持は当時29歳から34歳の青年期。
その在任中に、数々の歌を詠んでおり、万葉集収録の4516首のうち約480首が家持の歌とされていますが、そのうちの224首が越中時代に詠まれた歌です。
また家持と家持をめぐる人々が越中をテーマとして詠んだ歌は95首ありますが、このうち氷見の地名にかかわる歌は32首にのぼります。
なかでも国府から近い「布勢の水海」や、英遠の浦、比美の江、多胡の浦、松田江の長浜などの美しい景観は、ことのほか気にいったようで、氷見の歌枕(歌に詠まれた名所)の多さが、それを物語っています。
現在、氷見市の各地には、その名残として18の"万葉関係碑"が建てられており、万葉の心を今に伝えています。
阿尾城址口への行き方:
加越能バス 「北阿尾」下車 徒歩3分(約220m)